親族の死を知らなかったのは数年前まで。父の死を経験して初めて想像ではなく自分が生前の父、死んでしまった父とどんな関係になっていくのかここ数年で感じてきた。フランスに住みテロの脅威にさらされている私たちにとっても死は隣り合わせでもある。
昨日。
敬愛するおじさまが亡くなった。
突然だった。
病院へ。。。という報告を知らされた時に子供達にも知らせた。普段、遠くはなれているので次女のミアはピンとこない。長男のメイはなんとか成城の猫のことや本がたくさんある部屋のことを覚えていた。長女モエだけは成城の傾斜のある庭を背景におじさまが突然[オーシャンゼリゼ〜オーシャンゼリゼー]と曲を流し歌い始め、モエを驚かした。なんで日本でフランス語? そのことをモエははっきりと覚えてた。そういうことを話、、おじさまの回復を家族で願った。私たちのできるたった一つのこと。
おじさまはパリには2回ほど滞在し、そのときに競馬場巡りをして”トロ競技”をとても気に入って、にゃんこの名前を”トロ”にしたこと。パリのアパートにはカーテンがないので(普通にみんなカーテンをつけない)おじさまが泊まる部屋のカーテンをギンガムチェック柄で作ったこと。おじさまが倒れる数日前に、なぜか数年ぶりにこのカーテンを箱の中から取り出したこと。まだ、FACEBOOKなどないときに、メールでおじさまとやりとりして「君は女バルザックだ」と言われ喜んでいいのかわからなかったこと。「ナンセンス」という言葉の奥深さを教えてくれたのもおじさま。あげだしたらきりがない。
今年テロの後に電話をもらい話したのが最後になってしまった。暖かった。とても安心した。
芯の通った心で対してくれるおじさまが私は大好きだった。ずっとずっとまだ生きてくれると思っていた。
おじさまは死んでしまったけれど、1対1で交わしたいろんなことは死なない。これからもつながっている。決してなくならないものってあるんだと。。。
結局、遺言になってしまったあのこと。なるべく早くに実行します!
merci おじさま